アイヌの宅神たるチセイコロカムイが、果してオシラ神と密接の関係を有するものであるならば、その根原がアイヌの方にあって、東北地方のオシラ神は、前記のごとくその遺風の存するものと解するを妥当とする。何となれば、東北地方はもと蝦夷あるいはアイヌの国として、今においてなおその遺風が種々の場合に認められ、ことに某の家は蝦夷の子孫であるとか、某の部落はアイヌの遺※の村であるとか言われるものが、現になお各地に遺っているほどであるのみならず、その宅神としての行事や性格が、古く京阪地方を中心とした日本民族の間に認められたものとの間にいちじるしい相違があり、しかもそれが主として、もと蝦夷の国と認められた東北地方にのみ、限られているという事実から推測せられるのである。 果してしからばこのオシラ神を祭れる旧家は、当然蝦夷の遺※として見るべきかとの問題が起ってきそうであるが、余輩は必ずしも然か考えるの必要を認めない。何となれば、この神を祭れる旧家は多くはその地方の草分けともいうべきもので、しかも草分けとして土地を開墾し、農業に従事したものは、通例内地から入り込んだ移住者であるべく考えられるからである。ことにオシラ神という名義の研究から、そのしかるゆえんをいっそう深く考えしめるのである。自動車保険ランキング